わたしのこと…
1970年大阪で長女として生まれる。
その3年後に妹が生まれ、両親・妹と4人家族
子供時代は、凄い人見知りで知った子しか喋れなく、友達が少ないタイプ
何とな~く不仲だった両親の元に育つ。
何となく…と言うのは私たち姉妹の前では普通の夫婦に見えたけど。
ある日の夜中、言い争う声で目が覚めて泣きながら仲裁に入ったが翌朝おきると
母親不在"(-""-)"
仕事がある父親は「寮のお姉ちゃん」と言われる人に私と妹を預け仕事に~
すぐ母親の行った先が判明したようで私と妹を車に乗せ親戚の叔母家に行く。
そこで母親と会う。たった1日?夜中~翌夕方まで不在だった母親なのに、何故か母親でない雰囲気があり少し固まった記憶が・・・
親戚の叔母(祖母の妹にあたる人で私たちには大叔母)には私たち姉妹の目の前で「叩かれても自分の言いたい事はちゃんと言いや」と言われてるのを聞いて、ただ事じゃないな!と子供ながら悟った。
両親が話し合うのに私たち姉妹は大叔母の子供と近所の公園に。
どんな話合い、条件があったのかは知る事もなく…
私が18歳になる年に両親が離婚
妹と同様に母親性を名乗る。
20歳の成人式に父親と久しぶりの再会。その時に再婚(上記で登場した寮のお姉ちゃんと言ってた人)し、義理ママのお腹の中に赤ちゃんがいることが分かる。
腹違いの弟が生後7ケ月の頃に会い、その後は疎遠となる。
自分自身が24歳頃?一回り年上の夫と知り合い26歳で結婚し27歳で息子誕生
結婚した当初は私も仕事を続け、夫の仕事もさほど忙しくなく夫1人で事務経理も請けることができ私は仕事のサポートはせず…
30歳の時に夫の知人が大阪に支店を出すので、事務経理が必要となりお声がかかる。
37歳まで夫知人の会社で事務経理業務をする。
もともとの仕事がパソコン関係の仕事をしていたため、特に不便もなく仕事をし、さらに経理の分野でのことは教わりながら…スキルを上げていきました。
夫知人の会社を退職し、その後はユックリと~と思っていたのが夫の会社を
半ば強制で手伝うことに…
思えば、これが苦悩の始まりだったかも(笑)
2018年も残り少なくなった今…色んなことがあって、あの時の選択が違ったか?いや大丈夫!その繰り返しで今に至る感じ。
このblogでは、同じ自営業の妻もしくは彼女…が私と同じような思い・悩み・愚痴があっても、
「こうして今もまだ自営業の妻をしている!」
「うわ~自営業あるある!」って笑いながら読んでもらえたらなぁ~と思い始めました。